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駒場少年の生い立ち|高校3年生編|

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受験勉強<部活

サッカー部は引退のタイミングが3回あった。

インターハイ(夏の大会)後、夏合宿後、選手権(冬の大会)後。

 

僕らの部活は人数が多いため、レギュラーやベンチ入りできそうにないと考える生徒はインターハイ後に引退し、受験勉強に切り替えるのが普通だった。

皆で最後まで一緒に頑張りたいと思っていても、やはり受験勉強を捨てられない気持ちの方が皆強かった。

 

僕もベンチ入りから遥かに遠い存在であり、周りも「あいつは夏で引退するだろう」と思っていた。

 

可能性が限りなく0なのは自分でも痛いほどわかっていた。でも、僕は最後まで続けることにした。

 

決め手は親の、

「今やりたいことを本気でやりなさい。一浪までなら許す」

の二言だった。

 

自分が残ったところで、チームに与えられる影響は本当に微々たるものであり、練習がキツいのも2年間で十分に身に染みていた。

でも、その中で自分ができることを最後まで取り組んでみたいと思い、親のおかげもあり、僕は部活を続けることにした。

 

受験勉強<文化祭

ただ、最後まで部活を続ける部員は、夏休み明けに開催される文化祭ではほとんど何もしない。

文化祭の準備は主に夏休みに行うが、部活の練習もして文化祭の準備もしてしまうと、本当に勉強する時間がなくなってしまう。

3年生は基本どのクラスも劇をやるのだが、夏休みに練習をするサッカー部は、大道具・小道具係になって夏休みの1日か2日くらい顔を出すのが一般的だった。

 

そんな中で、僕は皆と同じようにする方が良いのだろうと思う反面、「劇に出たいな〜」とも思っていた。

 

2年生の文化祭でも劇をやっていたのだが、その劇が喜劇で、めちゃくちゃ笑いをとれていたのが強い思い出だった。

もう一回劇で笑いをとりたい気持ちと、受験勉強しなきゃいけない義務感。

この葛藤の最中、僕の親は先ほどと同じことを言ってきた。

 

「今やりたいことを本気でやりなさい。一浪までなら許す。」

 

この時から、もう一年勉強する覚悟は少しできていた(笑)

僕は部活同様に、劇の中でも特に時間を要する役者をすることにしたのだ。

(ちなみに、劇は喜劇ではなくなってしまい、笑いの代わりに涙をとったのだった...笑)

 

サッカー部引退

10月の半ばに僕らは引退した。

入部した時から引退するまで、僕は一度も公式戦に出ることはなかった。(15人以上もいるキーパーから試合に出るのは大学受験より難しいものだ笑)

 

脇役の中の脇役の中の脇役ぐらいの立ち位置だったのにも関わらず、試合終了のホイッスルを聞いた時は、涙が止まらなかった。

辛かった練習が終わるのは嬉しいようで、非常に寂しいものだった。

 

 

 

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チームというものには、リーダーやレギュラーの人がいれば、ベンチもしくはベンチ外の人が存在する。

当然スポットライトが当たるのは前者であり、後者の存在は外部の人には知られない。

だが、劇でいう役者のように、人前で目立つ人というのは、裏で支えてくれる道具・音響・照明係のような人がいてこそ輝ける。

 

だとするなら、大事なのは目立つか目立たないか、輝けるか雲に潜めるかではない。

 

一つの目標に対して、一人ひとりが必死に頑張れるかどうかだ。

どんな立場であれ、その人にしかできないことが必ずある。

今置かれた状況に対して本気で向き合ってみた時、初めてその人にしか味わえない達成感や感動に出合うことができるのではないだろうか。

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僕は限りなくレギュラーから遠い存在だった。

迷惑をかけることの方が遥かに多かった。

それでも、毎日一生懸命に練習した。自分のためにも、同期や後輩のためにも頑張ってみた。

 

その結果、引退という現実に直面した瞬間、自分の中で込み上げてくるものが途轍もなくあったのだ。

 

もう一度高校1年に戻って練習したいかと問われたら、正直NOだ(笑)

でも、その過酷な環境の中で必死にサッカーをし続けたこの3年間は、これからもずっと忘れることのできない、物凄く貴重な時間だったと本気で思う。

 

高校卒業

気付いたら高校を卒業する時が来た。

部活と文化祭に圧倒的比重を置いてしまった結果、大学受験は全滅し、僕は浪人することになった。(まあその予感はしてたけどね笑)

その代わり、思い出がたくさんできた。本当に親には感謝でしかない。

 

1日1日が本当に忙しかった。今までにないくらい苦しい思いをしてきた。でも、何か辛いことがあった時に今踏ん張れるのは、この3年間があってこそだと心底思う。

改めて言うが、本当に貴重な3年間だった。

 

引っ越し

浪人が決まった後も、僕は関西圏の大学にしか興味がなかった。

だが、東京で関関同立の対策を重点的にやる予備校はまず無かった。需要がないのだから当然である。

 

そこで僕は関西にある寮に暮らしながら、塾に通うことにした。予備校ではなく塾である(笑)

(予備校とは浪人生向けに朝から授業を行うが、塾は現役生を対象とするため、基本は午後からしか開かない。)

 

なぜ塾を選んだのか?

一つ目は寮に住むお金がかかるため、少しでも安く抑えたかったから。でも、これはあまり大きな理由ではない。

 

一番の理由は、その塾なら受かると確信したから、そして、その塾の塾長にものすごく興味を抱いたからだ。

まだできて4年目の小さな塾だった。それでも、僕は物凄くワクワクしていた。

 

こうして入塾先と寮が決まり、僕は大阪の吹田市で一年間暮らすことになった。

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という感じで舞台は東京から大阪に移動。

「とりあえず関関同立のどこかに入れれば良いや〜」くらいだった僕の気持ちは、この塾に入ってから大きく変わった。

 

「人生のターニングポイントはいつですか?」と問われたら、真っ先にこの浪人時代を挙げる。

ではでは、一体駒場少年はどんな一年を過ごしていたのか??

 

つづく。







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